ドナルド・フェイゲン「I.G.Y.」
ブライアン・アダムスの“カッツ・ライク・ア・ナイフ”が発売されるちょっと前、
これまたカッコいいジャケットのレコードが発売された。
ワンシャツを腕まくりし、
ネクタイをちょいとゆるめ、
タバコを手にした渋めのディスクジョッキーが
マイクに向かっているモノクロの写真。
部屋に飾っておくだけでもカッコいいこのジャケのレコードは、
ドナルド・フェイゲンの“ナイトフライ”という作品だった。
このアルバムの1曲目に収められた『I.G.Y.』はシングルカットされ、
ラジオからもしょっちゅう流れていた。
しかし、僕はあまり夢中になれなかった。
ひと言でいえば、この曲の良さを理解するのは若すぎたのである。
いまでこそ、ドナルド・フェイゲンといえば
ウォルター・ベッカーとともにスティーリー・ダンというユニットをやっていて、
スティーリー・ダンは1977年に
“彩(エイジャ)”という200万枚以上のセールスを誇るアルバムを発表して、
2003年にはグラミー賞の殿堂入りをしているなどといっぱしの口を叩けるようになったが、当時の僕はスティーリー・ダンという名前すら知らなかった。
高校2年生の冬、世の中がドナルド・フェイゲンの“ナイトフライ”を絶賛するなか、
僕はいったいこれのどこがいいんだろうと思っていた。
17歳・18歳のみずみずしい感性は、それはそれで素晴らしいものであるが、
うーん世の中、大人にならないとわからないこともあるなと思わされることも多々ある。
この“ナイトフライ”の良さもそのひとつである。
何年前かは忘れてしまったが、IBM“ThinkPad”のCMに
『I.G.Y.』が使われた。
それで僕は、今さらながらいい曲だと思ったのである。
僕の同級生の1人も、同じようなことをいっていた。
そう考えると、スティーリー・ダンの世界は
「ガキにはわかんねえんだよ」の世界なのかもしれない。
年齢を重ねるにしたがって、みずみずしさは失われていく。
これは仕方がない。
けど、年輪が増し、少しずつかもしれないが自分の世界は広がっていく。
10代のころは見過ごしてきた素晴らしいものの数々に
改めて出会えるかもしれないのだ。
そのチャンスを逃さないためにも、
感性のアンテナだけは錆びさせてはいけない。
そのアンテナが錆びついてくること、
それを老化というような気がする。