ディック・ミネ「旅姿三人男」


先日、とある出版社の広告担当者と話をしていたら、
中村敦夫さん主演の“木枯し紋次郎”の話題になった。

この方は僕より
5歳上なのだが、
やはり僕と同じく子どもの頃から
“木枯し紋次郎”を見ていたという。
しかもわざわざ紋次郎の生まれ故郷、
群馬県は三日月村まで行って、
三度傘と合羽を買ってきたらしい。
そして日光で買ってきた木の刀の鞘に赤いビニールテープを巻いて
紋次郎と同じ朱鞘の長脇差をつくり、
紋次郎ごっこをしていたというのだ。

この話を聞きながら、
やはり同じようなことをしている人がいるんだなと思った。

かくいう僕も紋次郎ごっこをしていた1人であった。
三度傘も合羽も、長脇差もあった。
楊枝は竹ひごを削ってつくった。
そして、紋次郎気取りでニヒルに
「あっしには関わりのねえこって」なんて
得意になってやっていたのである。

僕の三度傘と合羽は、三日月村で買ったものではない。
静岡の清水で買ってもらった。

そう、清水の次郎長である。

僕が5歳のとき、
母と母方の祖母と
3人で静岡の叔父のところに遊びにいった。
このとき生まれてはじめて新幹線に乗った。
さらにパトカーにもはじめて乗った。
逮捕されたわけではない。
この叔父は警官で、
なんと勤務中にパトカーで我々を静岡駅まで迎えにきたのである。

つくづく思うが、昔は本当にのどかな世の中だった。
いまだったら、警官が勤務中に私用でパトカーを使用なんていったら
きっと大問題になるだろう。

さらにこのとき僕は東京駅に向かう電車のなかで、
はじめていわゆるガイジンを見た。
南米の人っぽい男性
2人組で、
派手なアロハシャツをはだけて、
でっぷりとしたお腹を出していた。

この
2人組は僕のことを見て、
「おー!かわいいね〜」という感じでニコニコしていた。
僕も子どもの頃はかわいかったのである
()

しかし、これはいまだからあのガイジンさんたちは
そんな風に僕を見てたんだろうなと思えるわけで、
このときは違った。

僕はこの
2人組に誘拐されるのではと思ったのである。

はじめて見たガイジン、そして誘拐の恐怖。
その光景と心情は、いまも鮮烈に憶えている。

この当時、ちょうどフジテレビで“清水の次郎長”が放映されていた。
次郎長親分は竹脇無我で森の石松はあおい輝彦、
そして近藤正臣が追分三五郎を演じていた。

僕はこのドラマを、
裏番組のドリフターズも観ずに熱心に観ていた。
毎週毎週観ていたので主題歌も憶えてしまったほどだった。
ディック・ミネの代表曲『旅姿三人男』である。
たしかこのドラマでは竹脇無我が唄っていたと思う。

こんな風に次郎長にどっぷりとつかっていたので、
叔父に次郎長親分の生家やお墓に連れて行ってもらったときは
うれしくてうれしくて仕方なかった。

旅行から帰ってくるなり、
このとき買ってもらった三度傘と合羽で、
さっそく次郎長ごっこを弟とはじめた。

僕と弟が、三度傘に合羽姿で
「おひかえなすって」と仁義を切っているバカ写真が、
実家に残っているはずである。

“木枯し紋次郎”の放映がはじまったのは、
この翌年であった。
こうして僕の次郎長ブームは、
三度傘と合羽とともに紋次郎ブームへと引き継がれた。

次郎長ブームについては、余談がある。
いまから
4年ほど前に新撰組を愛する仲間2人と、
突如として次郎長ブームが起きたことがある。
何気ないメールのやりとりから次郎長親分について話が盛り上がり、
新撰組とは別に次郎長親分の男気あふれる人生に敬意を表し、
顕彰しようということになったのだ。

そのためには、まずは次郎長親分のお墓参りからだと、
3月のある日、僕らは清水に集結することにした。
1人は神戸から、1人は名古屋から。
名づけて「次郎長ブーマーズ」
(爆笑)

僕らは3人で、次郎長親分ゆかりの地をまわった。
32年ぶりに懐かしい想い出の地・清水にやって来たと思うと、
感慨深いものがあった。

僕はこのとき次郎長親分の生家で、
次郎長一家の写真を買った。
荒神山での決闘の手打ち式後に撮影されたものらしく、
一家の者のなかには顔が腫れ上がっている者もいた。

今年、僕が生まれた1966年以降途絶えていた「清水一家」の名跡を、
ある組織が継承するというニュースが流れた。
その影響もあって次郎長グッズが自主的に撤去され、
先月
12日の次郎長親分の命日に関連するイベントも中止されたという。
8月に行われる清水みなと祭りへの影響も懸念されている。

少なくとも次郎長親分は常々
「素人衆に迷惑はかけちゃいけねえ」といっていたはずである。
どんな思惑があって清水一家を継承したかはしらないが、
名前を継承する前に次郎長親分のスピリットを継承すべきではと、
次郎長親分に関する悲しいニュースを聞きながら、
僕は強い憤りを覚えた。

2007.07