ダーツ「ケメ子の唄」

これまでにも何度かチラリと書いているが、
僕が勤務する会社は、神田明神様のすぐ真ん前にある。

この神田明神様のお祭りである「神田祭」が今週行われている。
しかも今年は
2年に一度の大祭である。
きっと会社の前は、すごい人出になるに違いない。

一昨年の5月の第2土曜日、僕は出勤していた。
朝、出勤したときはまだ大丈夫だったのだが、
昼過ぎからは会社前は人・人・人の波で、
僕はお昼も食べずにずっとカンヅメ状態で仕事をしていた。

夜、仕事を終えて帰ろうとしたら、
ちょうど御神輿が通る時刻だったらしく、
会社の前の人出は最高潮だった。
ビルから出ようにも出られず仕方なく僕は会社に戻り、
ふだんは喫煙所にしている会社のベランダから、
その様子を眺めていた。

御神輿を上から見るなどバチ当たりな行為ではあるが、
ある意味、お祭り見物としては特等席といえば特等席であった。

僕は東京生まれではないが、江戸の祭りには血が騒ぐ。
5月の東京はお祭りシーズンである。
来週はいよいよ三社祭だ。
去年の三社祭からもう
1年も経ったのかと、
あらためて月日の流れの早さを実感してしまう。

僕が広告業界に入ることができた最大の恩師の家は、
雷門の真ん前にある。
文字通り真ん前なのだ。

名前を書いて人物が特定されてしまい、
ご迷惑をおかけするといけないので仮に
Jさんとさせていただくが、
Jさんは僕が最初に入った広告代理店の営業課長だった。

とはいえ僕が入社した当時は、
社長・次長・課長、そして若手の営業マンがもう一人と
経理担当の女性、そしてデザイナー
1名という会社だったので、
企業規模でいえば中小のなかでも限りなく“小”に近い企業である。
しかも社長は典型的なたたき上げタイプのワンマン社長だったので、
Jさんは課長とはいったものの世間一般の課長とはだいぶ事情が違った。

このJさんが僕を面接してくれ、
僕の入社を推してくれたおかげで、
僕は念願の広告業界に入ることができた。
なので、僕にとって最大の恩師なのである。

僕が入社した翌年、
Jさんは退職→独立されてしまったので、
一緒に仕事をした期間というのは
1年にも満たない。
しかし、アドマン
1年生の僕にとって、
Jさんに教えてもらったことは数限りない。

残念ながらJさんに最後にお会いしてから
もう
20年近くご無沙汰してしまっているが、
浅草に行くたびに
Jさんのことを想い出す。

Jさんと一度、クライアントの宴会予約のため
歌舞伎町に
2人で出かけたことがある。
無事に用事を済ました後、
コマ劇場の近くにあった焼き鳥屋さんに入った。

僕は鳥の皮はあまり好きではないのだが、
ここで食べた鳥の皮はとてもおいしかった。
いい感じで焼かれていて脂が落ち、
カリッとした歯ごたえの皮だったのだ。

僕はその後もこの皮を食べたくて、
何度かここに行ったことがある。

残念なことに今はもうこのお店はなくなってしまった。
実に惜しいお店であった。

Jさんと鳥の皮を食べつつ、日本酒を飲みながら、
僕らはなぜかザ・ダーツの『ケメ子の唄』の話で盛り上がったことを憶えている。

なんでそんな話になったのか?

その前後のことは憶えていない。
週末の歌舞伎町、この日のことで僕が憶えているのは、
鳥の皮・日本酒・『ケメ子の唄』・・・これがすべてである。

この後、僕はJさんと別れた後、
僕はどうやって帰ったか憶えていない。
帰り道の途中にあったゲームセンターで
レーシングゲームをしたことをかすかに憶えている。
が、なんで僕がゲームセンターに入ろうと思ったのかとは不明だ。

そうなのである。
僕はベロベロに酔っ払っていたのだ。
僕はいまもそうだが、日本酒はほとんど飲めない。
なので、自分からは絶対に飲もうとしない。
しかし、このときもそうだったように、
付き合いで飲まなければならないときが必ずある。

そういうときは、まさに決死の覚悟である。
なるようになれってなもんで、気合一発とともに杯を口に運ぶ。

僕はビールなら人並み以上に飲めるが、
お酒が強いとは思っていない。
ただビールに強いだけなのだ。

鳥の皮・日本酒・・・そして『ケメ子の唄』のことを考えるたびに、
Jさんとのことを想い出す。

あっそうそう、いま想い出したが、
あの日はたしか“ししゃも”も勧められるがままに食べたのだ。

僕は魚が一切食べられない。
煮ても焼いても食べられない。
どうしても食べなきゃならないときは、丸呑みする。

この日も、ししゃもを口に入れた後、
僕は噛まずにそのまま日本酒で一気に流し込んだのだ。
飲めない日本酒を一気飲みしているのだから、
そりゃあ、ベロベロに酔っ払っても不思議ではない。


2007.05