大事MANブラザーズバンド「それが大事」


気がつけば2009年も今日で16日。
この日記も昨年
1222日より更新していなかった。
さすがにこれはマズイだろうと思って、今日こそは書くことに決めた。


僕の
2009年は例年通り、近所の伝通院での除夜の鐘つきで幕を明けた。

この除夜の鐘つきに参加するため22時半ぐらいに伝通院に向かった。
受付開始は
23時からなのだが、すでに何人かの人たちが列をつくっていた。

予定時間よりちょっと早めに受付が開始され、番号札を受け取った。
受付番号は
9番だった。9番はかつて僕がサッカーをやっていたころ、
ずっとつけていた背番号である。
なんとなく縁起が良さそうだぞウッシッシと思いつつ、
鐘つきの開始までまだ時間があるのでいったん帰宅した。

そして帰宅後これまた例年通り、
エンケンこと遠藤賢司の筆による富士山の絵と「不滅の男」という文字が描かれた
赤いふんどしをキリリと締め、
23時半ぐらいに再び家を出た。


ちょうど僕が鐘をつく直前に
200911日となった。
僕はお寺の方に新年のご挨拶をしながら鐘堂へと上り、
今年もこうしてここにいられることに感謝しつつ除夜の鐘をつかせてもらった。


元旦の朝は
6時過ぎに家を出た。
昨年、敬愛する師匠・西尾忠久先生に教えてもらった
田安門の歩道橋の上から初日の出を拝もうと思ったからである。
とはいえ冬の朝である。寒い。
自慢ではないが僕は人一倍の寒ガリータである。
防寒対策としてジャージの上にウインドブレーカーを着込み、
さらにグラウンドコートに手袋というモコモコの姿で田安門を目指した。


田安門に着いたのは
640分ぐらいであった。
すでに多くの人たちが歩道橋の上にいた。
僕ははじっこのほうにスペースを確保し、静かに日の出を待っていた。


ビルの横っちょから
2009年最初の太陽が顔を出したのは713分ぐらいだった。
「ワイルドサイドを歩け」を座右の銘とし、
日頃からボヘミアンを気取っている僕ではあるが、
やはりこうして拝む初日の出は神々しかった。
僕は柄にもなく厳粛な気持ちになりながら、しばしその圧倒的な光に見入っていた。

その後、僕は武道館へと向かった。
お正月の記念に武道館をバックに撮影しようと
わざわざグラウンドコートのポケットに
紋付袴姿のターフィーくんをしのばせてきたのだ。

「厳粛な気持ちで初日の出を拝んだ直後に、これかい!!
と思わずツッコミを入れた読者よ
! 友よ!! あなたは正しい。
しかし、このバカさ加減が僕なのだ。
今年は
43になろうとしているというのにである。

その後、再び田安門の歩道橋に向かった。
さっきは人が多くて撮れなかったので
(こんな僕にも多少の羞恥心はあるのだ)
初日の出をバックにターフィーくんの写真を撮った


実は僕の体のなかで、このあたりから異変ははじまっていた。
が、僕はまあ大丈夫だろうとタカをくくり、靖国神社へと向かった。
目的は初詣というより、見世物小屋かおばけ屋敷が出ていないかの偵察であった。
残念ながらお目当ての見世物小屋もおばけ屋敷も出ていなかった。

参拝をし終えたころ僕の楽観的な予想に反し、
僕の体内は風雲急を告げはじめていた。
たぶん、初日の出を待っている間に冷えたのだろう。
僕のお腹はドンドコドンドコと暴れ太鼓を奏ではじめたのだ。

もはや、これまでである。
僕はトイレを借りに靖国神社に戻ろうかどうか迷った。
しかし、なんとなく新年早々、
後戻りするのはよくないような気がして僕は押し寄せてくる陣痛に
(!?)耐えながら
口を真一文字に結び、歩を進めた。

その途中で友だちからメールが届いたのだが、とても返事を打つ余裕はなかった。

僕は近くにあるホテルに駆け込むことを決意した。

このホテルには苦い想い出がある。
僕はここで土下座をさせられたことがあるのだ。
しかもロビーで。
このことは以前にもチラリと書いたことがあるが、
このときはまさに人生最大の屈辱であった。
もちろん土下座させられるぐらいなのだから僕にも非はあるのだが、
それにしてもである。
おまけに僕は土下座させられながら、肩に蹴りをぶち込まれたのだ。

忘れようにも忘れられない出来事ではあるが、
想い出したくもないことなので、それ以来このホテルの前を通ることはあっても、
館内に入ったことは一度もなかった。

そこに向かったのである。

トイレはすぐに見つかった。
幸いにしてトイレには誰もいなかった。
僕は大急ぎで個室に入り、安堵の瞬間を迎えようとした。
ら、ここで大きな問題に気がついた。
除夜の鐘つきに出かけてから
エンケン印のふんどしをずっとつけていたことを忘れていたのである。
我が事とはいえ、あまりにも予想外な展開に僕は慌ててしまった。
事実、よほど慌てていたのであろう。
もはや事態は一刻の猶予もないなか、
勝手知ったるふんどしをほどくのに手間取ってしまったのである。

再び読者よ! 友よ!! 想像してほしい。
個室のなか、ジャージ姿で必死の表情を浮かべながら
赤いふんどしをほどく
42歳男の哀れな姿を。

なんとかふんどしもほどけ、僕は無事に用を済ますことができた。

爽快な気分でトイレを出たあと、かつて土下座させられた場所に目をやった。
そこはまるで時が止まっているかのごとく、
以前とほとんど変わっていないように思えた。

僕を土下座させたヤツが、いまどこで何をしているのか知らない。
今度会ったらタダではおかないとずっと思ってきたし、
その思いはいまもある。
が、なんか不思議と僕のなかでひと区切りがついたような気がする。
ホテルのトイレと僕に土下座をさせたヤツとは何の因果関係もないのだが、
なぜか「ザマアミヤガレ
!!」という気分なのである。

子どものころ、ドリフターズの加藤茶がよくやっていた
「ウンコチンチン」というギャグをソイツの目の前で、
ソイツを小馬鹿にしながらしてやったような気分なのだ。

そんな風にして、僕の2009年は幕を明けた。


3
日はこれまた恒例行事である箱根駅伝観戦に出かけた。
僕が毎年観戦している御成門の前は、昨年以上の人出であった。
昨年、隣で話をしたおばあちゃんには残念ながら会えなかったが、
毎年ここのポイントでコース整理をしている陸連スタッフの方は今年もいた。
この方の姿を見て、あらためてまた
1年が過ぎたんだなという実感がしみじみ湧いた。


今年の箱根駅伝で僕が素晴らしいなと思ったのが、青山学院大学である。
もちろん初優勝した東洋大学も素晴らしいが、
僕はそれ以上に青学の健闘に感銘を受けた。
繰り上げスタートすることなく、母校の襷をつなぎきったからである。

正直にいえば、青学は9区か10区で繰り上げスタートになるのではと思っていた。
33年ぶりの出場とはいえ、
それは今大会の出場校枠が
85回の記念大会のため増えたからである。
予選会をギリギリで通過した青学に繰り上げスタートを回避するほどの力があるとは、
失礼ながら思っていなかったのである。

そんな僕の失礼な予想はいいほうに裏切られ、
僕の目の前を青学の選手が通過して行った。

僕は青山学院の選手にひと一倍の声援を送った。

明くる4日は、中山競馬場で金杯が行われた。
ターフィーくん可愛さからすっかり競馬づいてしまっている僕は
「金杯で乾杯だぁ♪」とばかりに朝一番でそそくさと馬券を買いに後楽園へと向かった。

5日は京都競馬場で同じく金杯が行われるので、その馬券も一緒に購入した。

馬券を買ってから携帯サイトでニュースを見ていたら、
いまから
18年前の1991年『それが大事』の大ヒットで一世を風靡した
大事
MANブラザーズバンドの立川俊之が
今年新たに大事
MANブラザーズオーケストラとして
活動をはじめることを表明したというニュースが載っていた。


『それが大事』がヒットした
1991年から92年にかけて日本は徐々に景気が悪くなり、
いわゆるバブル崩壊の時代へと向かっていた。
「負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事
 駄目になりそうな時 それが一番大事」
(作詞:立川俊之)という『それが大事』は、
そんな時代に生まれたヒット曲である。

いま、世の中の状況は178年前とは比べ物にならないぐらい深刻さを増している。
うれしくもなく楽しくもないどころか、
先行き不安になるようなニュースばかりが連日報じられている。

『それが大事』が大ヒットしていたころは
特にこの歌に対してなんの興味も抱かなかったが、
いま聴いてみると当時より歌詞に対してリアリティを感じる。
ラブソングの体裁をとってはいるが、
その枠では収まりきれないメッセージ性を感じるのだ。

大事MANブラザーズオーケストラの活動開始にあたり、
立川俊之本人が自身の公式サイトで
「『勇気』を持つこと自体、厄介な昨今ですが、
僕らの音楽が、もし、そのお役に立てるのならば」とその決意のほどを発表している。
前述のとおり、大事
MANブラザーズバンドに対しては、
ほとんど思い入れのない僕ではあるが、この立川俊之の姿勢には心から敬意を表したい。


中山競馬場で行われた金杯は、見事にかすりもしなかった。
僕はうーむ残念と思いながらも、
でもまだ明日があるもんねと翌日分の馬券を愛でるように手にした。

ら、である。
馬券には「
5日・金杯」という文字はどこにもなく、
そのかわり「
4日・門松ステークス」という文字が印字されていた。

あろうことか僕は前日発売のところにチェックをし忘れて、
4日の京都競馬場の11レースの馬券を買ってしまっていたのである。

おっちょこちょいは僕の専売特許だが、
よりによって年明け早々こんなチョンボをしでかすとは。

もちろん門松ステークスの馬券は外れた。

この性格、どうやら今年も治りそうもない。

反省というか謹慎の意味を込めて、僕はしばらく競馬を自粛することにした。
期間は無期限である。いつまでとは決めていない。

去年の大晦日、近所で鉢植えの小さな梅の木を見つけた。
ガーデニングや盆栽などには一切興味を抱いたことがない僕ではあるが、
妙にいい感じで苔むしているこの梅の鉢植えが欲しくなってしまった。
キザないい方をすれば、梅の木が僕を呼んでいるような気がしたのである。

迷った末に結局買った。
以来、毎朝水をやりながらこの梅の木が花を咲かせるのを楽しみにしている。


そして、この梅が咲くころには僕の競馬謹慎生活も解けているのでは、
なんて都合のいいことを考えている塩梅だ。
まったくもって懲りないヤローである。

ということで、あらためて今年もよろしくです。
この書きなぐりの駄文を読んでくださった皆さんの毎日に
たくさんの花が咲きますことを心からお祈りしています。ワッショイ♪


2009.01