コンセントピックス「顔」


 先週、「心を映す顔」というシンポジウムに参加する機会があって出かけてきた。
このシンポジウムでは、日本顔学会の会長でもある東京大学大学院の原島博教授と
中央大学教授の山口真美さん、そして茂木健一郎氏による講演とパネルディスカッションが行われたのだが、
特に印象に残ったのは、
原島先生の「性格が顔をつくるのではなく、顔が性格をつくるという発想が大切」というお言葉と、
「顔は見る人と見られる人の関係が大切であり、
相手の顔がよく見え出したらそれは自分と相手の関係がよくなっていると考えていい」というお言葉であった。

1984年、第27回のポプコンでグランプリを受賞したコンセントピックスの『顔』は、
「あなたはとてもいい人だけど、顔が嫌い
! 顔が嫌いなのよぉ!!」という内容の歌であった。

たしかに僕自身、誰かを見て「どうもいけ好かねえ顔だ」と
ついつい思ってしまうことがある。
でも原島先生のお話を聞いて、きっとそんな風に思っている僕の顔も、
相手からすればいけ好かねえ顔に映ってるんだろうなと
冷や汗タラタラな思いをしながら反省した次第である。

このシンポジウムの司会進行を務められたのが、
あの頼近美津子さんである。
あの頼近さんといっても「誰だ、それ
!?」と思われる方もいるかも知れないが、
頼近さんは
NHKのアナウンサーから1981年、25歳のときにフジテレビへ移籍し、
大きな話題を集めたいわゆる「美人アナ」の元祖的存在である。
僕はあとで知ったのだが、当時のフジテレビは女性への待遇がひどく、
女性はすべて契約社員という雇用形態をとっていたという。
そうしたなか頼近さんは一説には当時のお金で
3,000万円という移籍金でフジテレビに入社し、
フジテレビの女性正社員第
1号となったそうだ。

その後、頼近さんはフジサンケイグループの創始者、
鹿内信隆氏の長男・春雄氏に見初められ結婚。
そのニュースは
NHKからの移籍のとき以上に大きな話題となった。

しかし、結婚からわずか4年後の1988年、春雄氏が42歳の若さで病死。
頼近さんは
32歳で未亡人となる。
さらに春雄氏亡きあとフジサンケイグループに対する鹿内家の影響力は弱まり、
1990年、頼近さんは2人の息子さんとともに渡米し、
ワシントンで生活をはじめたという。

愛する夫を失っただけではなく、
フジサンケイグループ議長の妻という立場もなくし、
母として女性として自立した生き方をしなければならなかったこの
20年間という歳月は、
それはそれは僕なんかが想像もつかないような大変な日々の連続だったと思う。

そんな波瀾万丈な人生を送ってきた頼近さんもいまや52歳。
もちろん
20代のころと50代のいまとでは、お肌の状態も違うだろうし、
お顔だって多少は変化していると思う。
しかし、その気品漂うような美しさは、
僕が
10代のころにブラウン管を通じて見ていた頼近さんと、
なんら変わりはなかった。

聞けば頼近さんは現在、ナレーションや執筆活動に加え、
クラシック音楽を中心にしたコンサートの企画構成なども手がけられているという。
素敵な大人の女性として、ますますのご活躍をお祈りしたい。

今回のシンポジウムに参加して、僕が強く思ったことは
「いい顔をしている人生」を送りたいということであった。
それは何もルックス的にイケている顔という意味ではない。
なんというか、
1人の人間として
「いい顔」といわれる顔でありたいなと思うのである。


さらにいえば、
もっともっと「いい顔」といっぱい出会いたいなとも思う。
その「いい顔」に出会ったとき、
きっと僕も「いい顔」をしているに違いない。

 
2008.05