ケミストリー「ダンス・ウィズ・ミー」


ちょうど1年前の今日、
フットボーラー・中田英寿が自身のホームページで引退を発表した。
考えてみれば去年の今ごろはワールドカップだったのである。


去年のワールドカップにおいて、
わが社でもトト・カルチョをやっていた。
1口千円で優勝チームを予想し、
優勝チームを当てた者が総どりというルールだった。

僕は開催国ドイツと、オランダ、イタリアに賭けた。
ドイツは侮れない。
なんやかんやいって勝ち上がってくるだろうと思って賭けた。
オランダは監督のマルコ・ファン・バステンが
現役時代からの大ファンだったこともあり賭けた。
イタリアは正直いって、優勝はないだろうと予想していた。
のだが、迷いに迷って、ひょっとしたらと思って賭けた。

結果はイタリアが優勝し、
僕はもう
1人イタリアに賭けていた女性デザイナーと共に、
優勝賞金を分け合った。

ワールドカップのトト・カルチョで想い出すのが、
前に勤めていた会社の同僚と
2人で行った
1998年のフランス大会でのトト・カルチョである。

このときのルールは、
全試合の勝敗はおろか得点までをも予想するという壮絶なものだった。
1次リーグは勝ちチームを当てれば勝ち点
1
さらに得点まで当てた場合は勝ち点
2というルールで行い、
決勝トーナメントからはさらに
90分で決着か、
延長戦で決着か、
PK戦で決着かまでを予想するという
複雑なルールのもとで行った。

このルール…考えたのは、もちろん僕である。


で、結果はというと、なんと
2人とも同点だった。
信じられないことに全
62試合を予想し、
結果が同点なのである。
僕らはこんなことがあるのかと、
この不思議な同点劇に笑い合った。

このトト・カルチョでは負けたほうが、
僕らがよく行っていた
新宿三丁目にある「呑者家」という居酒屋でご馳走するということになっていた。
この決着は
4年後だと約束して、
僕らは割り勘で「呑者家」で乾杯した。

4年後の日韓大会でも
同じルールでトト・カルチョは行われた。
1次リーグの時点では僕がリードしていたのだが、
決勝トーナメントに入り、同僚の快進撃が始まった。

同僚は逆転をもくろみ韓国に賭け続け、
僕は逃げ切りをもくろみ韓国の対戦チームに賭け続けた。
僕はイタリアの優勝を信じていたのである。
まさかイタリアが韓国に負けるなど、
まったくの予想外であった。

さらに韓国がスペインまでをも破るなんて、
それは僕の予想をはるかに超えていた。

この差が大きくモノをいい、
結局
4年越しのトト・カルチョは僕の負けで幕を閉じた。

そして約束どおり「呑者家」でご馳走した。
負けても美味しいお酒だった。

2002年の日韓大会の公式ソング
『ボイス・オブ・コリア/ジャパン』を唄ったのが
ブラウン・アイズ、リナ・パク、ソエル、そしてケミストリーである。

ケミストリーといえば、
いまなお耳について離れない曲が
3年前のJ-WAVE秋のキャンペーンソングだった
『ダンス・ウィズ・ミー』である。

この曲、キャンペーンソングなだけに
J-WAVEで毎日がんがん流れていた。
1日に何度もである。
刷り込まれないほうがどうかしてるってなもんだ。
僕とってこの『ダンス・ウィズ・ミー』は
3年前の秋最大の想い出の曲といっても過言ではない。

僕がもうすぐ辞める会社は当時、秋葉原のはずれ、
三井記念病院のすぐ近くにあった。
事務所は狭く、僕は壁に向かって仕事をしていた。
当時の社員数はいまの半分ぐらいだった。

いま退職を間近にして、あの頃を想い出しても
不思議と懐かしさがわき上がってこない。
いろんなことを憶えているのだが、
その
1つひとつがどれも懐かしいとは思えないのだ。

別に忘れたい過去というワケではないのに、
すでに自分のなかでは終わってしまっていることだからだろうか?
気持ちは新しい世界に向いているからだろうか?

この会社に勤めるのも、あと10日。
もうすぐ本当に、さよならだ。

 

【追記】
先日、僕の送別会はしないでほしいとお願いしたと書いたのだが、
昨日の朝の会議で専務が送別会を
13日に行うと発表した。
事前にその旨を専務から伝えられたとき、
僕は「やらなくていいですよ」といった。
ら、専務は「だって、さみしいじゃない」と返してきた。

正直いって僕は全然さみしくないし、
送別会なんて心からやらないでほしいと思うのだが、
かくなる上は仕方がない。
本当に本当に、最後の務めだと思って、
ありがたく送別会を開いてもらうことにしよう。


2007.07