C-C-B「Romanticが止まらない


先週末から今週にかけて、どうにもこうにも忙しく、
ついついこの日記もまるまる
1週間近く休んでしまった。

この
1週間、もっとも日本中をヒートアップさせた話題は亀田騒動であろう。
かくいう僕は、ボクシングに関しては一家言ある。
こちとらダテに就学前からずっとボクシングを見ていたワケではないのだ。

数ある名勝負のなかで僕がいちばん印象に残っているのが、
19776月に行われたWBC世界フライ級タイトルマッチ。
王者ミゲール・カントに触沢公男が挑戦した試合だ。
挑戦者触沢はクリスチャンにしてボクサーという異色の選手であった。
片や王者ミゲール・カントは、
まさに円熟期を迎えた無敵の王者でメキシコの英雄であった。

このミゲール・カントというボクサーは、
小学
6年生のタカハシ少年の目から見ても本当にいいボクサーであった。
強いのは当たり前なのだが、ボクシングに気品があった。
その小粋な試合運びは、
まるですぐれたアートパフォーマンスを観るようであったことをいまも憶えている。


ミゲール・カントと触沢の試合は、結局ミゲール・カントが判定勝ちした。
敗れた触沢の顔は見るも無惨に腫れ上がっていた。
痛々しい敗者の姿ではあったが、
死力を振り絞って闘い抜いた男の美しさがそこにはあった。
そして、敗者は王者を称え、王者は敗者を称えた。
ボクシングというスポーツの素晴らしさを凝縮したような試合であった。

僕は「闘い終わってノーサイド」という言葉が好きで、よく使う。
試合が終われば、敵も味方もない。
互いに健闘を称え合うのがスポーツマンシップだと思う。

僕が内藤VS亀田の試合で、
これは許せないと思ったのは反則技よりもなによりも、
亀田陣営が王者を称えるどころか一礼することもなく
リングをそそくさと降りて行ったことである。

かつて輪島功一が自らのチャンピオンベルトを奪った、
オスカー・アルバラードという選手とのリターンマッチに臨んだときの光景を想い出す。
当時の世界戦は
15ラウンド制であった。
試合は両者互いに譲らず、
15ラウンドが終了した。

その直後、輪島は宿敵であるチャンピオンに対して、何度も頭を下げた。
チャンピオンに対して敬意を表したのである。

結果は、輪島が判定勝ちを収め、見事に雪辱を晴らした。
少年の僕は、その結果うんぬんよりも
輪島のチャンピオンに対するその態度に心を打たれた。

また、薬師寺保栄と辰吉丈一郎との試合も忘れられない。
この試合も、今回の内藤
VS亀田戦同様、
試合前から激しい舌戦が繰り広げられた。
日本人チャンピオン同士の対決、しかも統一王座決定戦。
勝つのは辰吉か
!? 薬師寺か!?
まさに世論を二分するような注目の一戦であった。

試合は、判定で薬師寺が勝った。
辰吉は潔く負けを認め、
薬師寺に対し「試合前にいろいろ言って悪かった」とリング上で謝罪した。
僕は負けた辰吉がますます好きになった。

今回のタイトルマッチで、王者内藤は株を上げた。
この
1週間のメディアの扱い方を見れば、
ある意味、国民的ヒーローとなったといっても過言ではない。

しかし、ボクサーは負ければ敗者だ。
常に崖っぷちのところで闘っている。
王者内藤の真価を問われるのは、
世界ランク
14位、話題ばかりが先行してしまった
18歳の少年相手のタイトルマッチではなく、次の防衛戦であろう。

また、C-C-Bの『Romanticが止まらない』をBGM
世界戦のリングに登る王者内藤の次なるタイトルマッチに期待だ。
ボクシング世界戦防衛最年長の日本記録の自己更新もかかってるしね。


2007.10