バディ・ホリー「レイヴ・オン」

先週の土曜日の夕方、
テレビをつけたら俳優の陣内孝則とベッキーが出ていた。
日本有線大賞なる歌番組の番宣だったのだが、
「陣内が日本有線大賞の司会かぁ〜」とビックリした。


僕にとって陣内は、
やはりロックンローラーであってほしい男である。


正直いえば、
陣内がヴォーカリストをやっていたザ・ロッカーズというバンドは、
それほど夢中になって聴いたわけではない。
しかし、あの
1980年代初頭の、
いわゆる「めんたいロックブーム」の一端を担っていた陣内には、
ある種のシンパシーを感じずにはいられない。

たしか19881月だったと思うが、
陣内が内田裕也さん主催の
ニューイヤー・ロックフェスティバルに出演した様子がテレビで放映された。
陣内はロッカーズ時代の代表曲『涙のモーターウェイ』を歌っていたのだが、
僕は陣内のロックンローラーぶりを久しぶりに見て、
とてもうれしかったことを憶えている。

その後、
90年代に入り、
陣内がドリカムと一緒にやっていたバラエティ番組内で、
陣内が“元祖モッズバンド”スモール・フェイセズの
『シャラ・ラ・ラ・リー』を歌っているのを偶然観たときも、
すごくうれしかった。

ロッカーズを解散後の陣内は
小林旭の『自転車ショー歌』をカバーするなど、
はた目には「いったい、陣内はどうちゃったんだろう?」
と映る活動もあったりしたのだが、
それは本人が望んでいたことではないような気がする。
いわば、芸能界という混沌とした社会で、
生き残るために強いられた妥協であったように思えて仕方がないのだ。


そんな陣内の生ステージを僕は
1度だけ観にいったことがある。
伝説のロックンローラー、バディ・ホリーの生涯を描いた
ミュージカル“
Buddy”である。

このミュージカルで、陣内はバディ・ホリーを演じた。
バディ・ホリーは、
かのビートルズの面々もリスペクトしていたロックンローラーで、
たしかバディ・ホリーの著作権はポール・マッカートニーが所有しているはずだ。

まさに、ルーツ・オブ・ロケンロール。
バディ・ホリーがいなかったら、ロックの歴史も変わっていたであろう
という偉大なる先人である。

ミュージカル“Buddy”は、
もちろんバディ・ホリーの曲がふんだんにつかわれ構成されていたのだが、
特徴的なのはほとんどの曲を陣内扮するバディ・ホリーと
そのバンドによってライブ演奏されていたという点である。

随所に生演奏シーンを効果的にとり入れ、
テンポよく展開していった舞台の終盤、陣内はこう叫んだ。
「いつまで座って観てんだよ!
シェークスピアを観にきてるんじゃないんだぜぇ〜
!!

この陣内の言葉を合図に、観客は総立ち。
その熱狂ぶりは
本当にバディ・ホリーのコンサートを体験しているかのようであった。

バディ・ホリーの曲のなかで、
僕が一番好きだった『レイヴ・オン』も、もちろん演奏された。
バディ・ホリーのトレードマークであった
黒のセルロイドメガネをかけて歌う陣内は、
まさにバディ・ホリーそのものだった。

やはり、陣内にはロックンロールが似合うなと思った。

バディ・ホリーは1959年、
ツアー用にチャーターしていた飛行機の墜落事故により
22歳の若さで亡くなった。
実質的には活動期間わずか
2年ぐらいではあったが、
前述のように彼がロックンロール音楽の歴史に残した功績ははかりしれない。


生のバディ・ホリーを見ることはとうてい叶わないことではあったが、
陣内版“
Buddy”を観られたことは、
僕のロックンロール人生において、とても幸せなことだったと思う。
できれば、再演してくれないかな。


2006.12