ブームタウン・ラッツ「哀愁のマンデー」

日曜日の夜に憂鬱になる人は多い。
かくいう僕も、やはり日曜日の夜は気が重い。
月曜日の朝が雨だと、もっと気が重くなる。

そんなとき、僕の頭のなかによぎるのは
ブームタウン・ラッツの『哀愁のマンデー』である。

バンド・エイドの提唱者として世界中にその名を売った
ボブ・ゲルドフがリーダーを務めていたバンドの代表曲である。


この曲は「月曜日は嫌い」といって女子学生がライフルを乱射し、
11人を死傷させたというアメリカで実際に起きた事件を題材にしている。
そのためイギリスではナンバーワンに輝いたものの、
アメリカでは放送禁止や発売禁止の措置がとられたという。

ブームタウン・ラッツを教えてくれたのは、
同じサッカー部のミカミであった。
ミカミとは中
1・中2と同じクラスで、
中学時代もっとも親しい仲間の一人であった。

そのミカミと、中学を卒業してから
7年後の1988年の秋、
井の頭線のなかで偶然再会したことがある。
同じ車両に乗っていて、渋谷に着く直前に目が合ったのだ。
すぐにお互いでわかった。
自由が丘で美容師をしているという彼は、
中学時代の少しヒネたやんちゃ小僧の面影を少しも感じさせない、
言葉づかいのしっかりした、ていねいな大人になっていた。

その後、しばらく交流が続いていたのだが、
彼が転職したり、僕が引っ越したりなどしているうちに
連絡がとれなくなってしまった。
尊敬するコピーライターの仲畑貴志さんのコピーに
「『好きなんや』と友人の
Kが打ち明けたコは、
あの頃、密かに付き合っていた僕の彼女だった。
無理かも知れないけど、みんな、いい場所にいるといいね。」
というのがあるが、僕とミカミのあいだにも似たような経験がある。

2のとき、同じクラスに
ヒキチという背の小さい女の子がいたのだが、
そのヒキチのことをミカミは好きだった。
僕は僕で、別に中
1の頃から好きだったコがいた。
だからミカミの恋がうまくいくといいなと思っていた。

ところが
3学期になって、
そのヒキチと僕が隣の席になってしまったのだ。
そのうち、僕は彼女のことを好きになってしまった。
あとから知ったことだが、
彼女は前々から僕が好きだったらしいのである。

まるでパティ・ボイドに恋をしてしまった
エリック・クラプトンである。
友情か
!?恋か!?
その狭間で僕は悩み続けた。

そのうち僕らの仲良しぶりがクラス中のウワサになった。

冬のある日。
いつものように練習を終えた帰り道、
ミカミは意を決したような口調で、僕にこういった。

「ヒキチはカツトシのこと好きだ」と。

僕はなにもいえなかった。

黙っている僕にミカミは、
やさしい口調でこう続けた。
「オレのことは気にすんなよ。オマエら似合ってるよ」

僕は、このときのことをいまも鮮明に憶えている。
中学時代で、もっとも美しい瞬間であった。

ミカミはその後、ウジイエという女の子と相思相愛になり、
付き合いはじめた。
僕も晴れてヒキチと付き合うようになった。
ヒキチに会える。
それだけで、学校に行くのが楽しかった。
日曜日の夜など、月曜日の朝が待ち遠しくて仕方がなかった。
『哀愁のマンデー』なんて、
遠い海の向こうのハナシさってなもんであった。

明日からまた、新しい1週間がはじまる。
来週はもう
2月だ。
40歳で迎える月曜日は、あと3回しかない。
しかも
12日は振替休日だから、
実質的な月曜日は
2回だけである。

ヒキチと会うのが楽しかった月曜日は、
もうはるか彼方に過ぎ去ってしまったが、
明日が気持ちよく過ごせる月曜日になることを祈りたい。

そして、最後に・・・すでに連絡が取れなくなった多くの人たちみんなが
「いい場所にいるといいね」と思う。


2007.01