ザ・ぼんち「恋のぼんちシート」


うーむ、これは奇跡だ。僕は思わず、うなってしまった。


昨日、後楽園駅の脇の公園で猫にゴハンをあげていたら、
頭上から黄金色をした天使が降りてきて
「親切にしてくれたご褒美として、ニャー宮城でワインを差し上げましょう」と
声をかけられた。

僕は「大変申し訳ないのですがワインは嗜まないので、
できれば生ビールのほうがいいです」といった。
僕はワインや日本酒が苦手なのである。

すると黄金色の天使は「残念ながらニャー宮城に生ビールはありません。
ニャー宮城でおもてなしできるのはワインだけなのです」と
本当に残念そうにいったあと、
土星の輪っかを思わせるような頭上の天使の輪を七色に光らせながら
「私はベニート・ムッソリーニが生まれた
1883年の729日からニャー宮城の大使としてさまざまな人をお招きしてきましたが、
ワインより生ビールがいいと事前にいってくれたのは、あなたがはじめてです。
たいていの人はワインを差し上げるといってニャー宮城にお招きしたにもかかわらず、
お出ししたワインをゴクゴクとノドを鳴らしながら飲み干すなり、
やれウオッカはないのかだの、日本酒をもってこいだの、
ピナコラーダを飲のせろだの好き勝手なことをいい出して、
私たちを困らせたものです」と顔をしかめた。

僕はそんな黄金色の天使の言葉をぼんやりと聞きつつ、
ニャー宮城とはいったいどんなところなのだろう
?
ありったけのイマジネーションをしぼり出しながら想像してみたが、
僕が想像できたニャー宮城は薄暗い店内にダンスミュージックが鳴り響き、
ミラーボールが無秩序に色とりどりの光を反射させている
グランドキャバレーのようなものだった。

そんな僕の乏しい想像力を無視するかのように、
黄金色の天使は言葉を続けた。

「ぜひ、あなたをニャー宮城へお招きしたかったのですが、
ワインがお好きじゃなければ仕方がありませんね。
では、せめてのもお礼としてこれを受け取ってください」といって
左手に持っていたバトンのようなものの先をクルリとひと回転させた。

「ニャンパラリ〜」という愛川欽也の懐かしい声が、
どこからか聞こえたような気がした。

次の瞬間、僕の目の前でポンと煙が立ちのぼった。
まるでハクション大魔王が出てきそうな煙だった。

煙が風に飛ばされおさまると、
目の前に金の玉手箱がフワフワと浮かんでいた。

「さあ、その玉手箱をお開けください」と黄金色の天使は、
まるで子どものころの僕を抱っこしながらかわいがってくれた叔母のように
ニッコリと微笑んだ。

僕はこの世の中が汚いことに満ちあふれていることなどまったく知らない
無垢な少年のような気持ちで、いわれるがままにその玉手箱を開けた。

どこかで「これでいいのだ」というバカボンパパの声が聞こえた。


どのぐらい時間が経ったのだろう。

目の前を黒いロングコートを着て、テクノカットにした大学生が通り過ぎた。
大学生の手にはカセットテープ式のウォークマンが握られていた。

向こうからはリーゼントヘアの高校生が、
聖子ちゃんカットの女の子と手をつなぎながら歩いてきた。
高校生のカバンにはヘタクソな字で「喧嘩上等」と書かれていた。
聖子ちゃんカットの女の子は横浜銀蝿と書かれた布製の手提げ袋に
「なめ猫」のバッヂをつけていた。

僕は42歳のまま、1981年にタイムスリップしたのである。

というのは、もちろんウソである。
長々とくだらない話に付き合わせてしまい、申し訳ない。


だが昨日、僕が「これは奇跡だ
!!」と
思わずうなってしまったのは紛れもない事実なのだ。

聞いてほしい。

昨年の1222日の日記でニック・ロウの代表曲『恋する二人』のカバーソング、
三遊亭円丈師匠の『恋のホワン・ホワン』をとり上げた。
1981年に発売され、ほとんど売れなかったというまさに幻の迷盤である。
その『恋のホワン・ホワン』がナント、先月再発売されたというのだ。
さらに、その音源が
YouTubeにアップされていたのである。

これを奇跡といわずして、何という?

チェッ、なんだそんなことか!! ますますくだらねぇと思った読者よ! 友よ!! まあ待て。
ためしにいますぐ下記のアドレスにアクセスしてみるといい。

まずは、原曲から聴いてみるのをオススメする。
『恋する二人』を演奏するニック・ロウのカッコいいライブ映像が観られるぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=-JJ7oGHwMTI&feature=related

どうだい? いい曲だろう♪ 
特にこの曲のイントロは佐野元春の『ガラスのジェネレーション』のイントロでも
巧みに使われた名フレーズであることを付け加えておく。

さあて、ここからがいよいよ本日のメインソングである。
何もいわず、何も考えず、そう何も考えずに黙って聴いてほしい。
三遊亭円丈師匠の『恋のホワン・ホワン』♪

http://www.youtube.com/watch?v=vtIBDVbxIOM


どうだ
!? まいったか!! ホントに「君にはお手上げ」な強烈な曲であろう。


この曲が発表された
1981年は、まさに「MANZAIブーム」のまっただ中であった。
その勢いをかって多くのお笑い芸人たちがレコードをリリースした。
なかでもザ・ぼんちの『恋のぼんちシート』は
ヒットチャートの
2位にまでのぼりつめる大ヒットとなった。

が、僕はいまだにこの『恋のぼんちシート』が
何ゆえにそれほどの大ヒットになったのかわからない。
音楽的にもさほど素晴らしいとは思えない。
時代の勢いが生んだヒット曲なのだろうか
?

この『恋のぼんちシート』に盗作疑惑を突きつけたのが、
タケちゃんことビートたけしである。
タケちゃんの“オールナイト・ニッポン”で、
ダーツの『ダディクール』という曲とほとんど同じであることを指摘したのである。

その疑惑に対し、作曲者の近田春夫はあっさりとそれを認めた。
その近田春夫の態度に、タケちゃんも僕らも度肝を抜かれた。
近田春夫が「まったくの偶然である」などと釈明をすれば
疑惑追及で大いに盛り上がったのだろうが、
あっけなくパクったことを認めてしまったことから
この話題はあっという間に沈静化してしまった。

この国の財務・金融大臣がワインを
「嗜みはしたが、ごっくんはしてない」という発言が
昨日・今日とさまざまなメディアでとり上げられていたが、
何をぬかすかってなものである。

嗜みはしたが、ごっくんはしていないというのであれば、
具体的にどのぐらいの量を、どのようにして飲みこんだのかはっきりしてほしい。

僕には、この人のいっている意味がまったくわからない。
かつて一世を風靡した漫才師の人生幸朗師匠でなくとも
「責任者出てこい
!!」といいたくなる。

責任ある立場の人間は、あいまいな言葉で語るべきではないのだ。
政治家であればなおさらである。
選挙演説では世の中の諸問題について立て板に水で話せる人間が、
己の疑惑に対し明確な言葉で語ることができないのなら、
それは政治家として「負け」である。
潔く職を辞するべきだ。

大臣職を辞任しますで済まされる話ではない。

先日発売された雑誌“ナンバー”の特集は
ズバリ「言葉力。
2009年の監督論」というものであった。
僕も興味深く読ませてもらった。
イビチャ・オシム前サッカー日本代表監督や
楽天イーグルスの野村克也監督をはじめ、
古今東西の名将たちの言葉がきら星のごとく誌面で輝いていた。

そして、あらためて言葉の重要性に思いを馳せた。

偉そうなことをいうようだが、言葉は「その人自身」だと思う。
裸の姿が言葉に現れるのだと思っている。

しかし、文章力や口の上手い下手は関係ない。
たとえ拙い言葉であっても、正しい姿勢はキチンと正しく伝わるし、
逆にいくら美辞麗句を並べたところでウソはウソでしかない。

つくづく思うのだが、
この国の政治家の言葉がダメになる一方のような気がしてならない。
ウソやデタラメや失言はいうに及ばず、
社民党の党首が得意になってあれやこれやとネーミングしている言葉も空虚に聞こえる。

いい加減な言葉でしか語れない、いい加減な政治家の姿に対し、
円丈師匠の『恋のホワン・ホワン』を聴きながら、僕は強い憤りを覚えた。


2009.02