ベリーニ「サンバ・デ・ジャネイロ」


1994
年といえば、早川義夫さんに加えもう一人、
お会いできるものなら、ぜひお会いしたいものだと
ずっと憧れ続けてきた人とついに会うことができた年である。
その人の名は、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ、
通称ジーコ。

そう、あのジーコである。

サッカー少年だった僕にとって、
ジーコはアイドルであった。
ジーコを評してよく人々は「サッカーの神様」というが、
僕にとってジーコは神というよりアイドルであった。

誤解を恐れずにいえば、
芸能人になりたい少年がジュリーやヒデキに憧れたように、
僕も「あんな風になりたい」という目でジーコを見てきたのだ。

ご存知のとおりジーコは現役引退後、
ブラジルのスポーツ大臣に就任したのだが、
1991年突如として現役復帰し、日本の住友金属へと入団した。
僕はこのニュースに触れたとき、
喜びよりもなんともイヤな気分になったことを正直に告白しなければならない。

当時の日本はバブルの絶頂期。
ジャパンマネーが世界中を席巻していた。
ジーコの住友金属入りもジャパンマネーによるものだと勝手に解釈し、
ジーコは金に目がくらんだのだと勝手に思い込んでいたのだ。

だから1993515日、
Jリーグの開幕戦当日まで僕は横浜マリノスを応援していた。
僕は日本リーグの時代からずっと日産のファンだったのだ。

ヴェルディとマリノスのオープニングゲームの翌日、
他の8チームの試合がいっせいに行われた。
なんとジーコは、
この試合で
Jリーグ初となるハットトリックを達成した。

「やっぱりジーコはすごい」と、
僕はジーコが来日したとき抱いた考えに対し全面的に懺悔をし、
にわかアントラーズファンとなった。

アントラーズはその後も快進撃を続け、
ファーストステージを制した。
それは一種の社会現象とまでなった。

1994116日、
初代
Jリーグチャンピオンをかけて
ヴェルディとのチャンピオンシップ第
2戦が、
超満員の国立競技場で行われた。
1週間前の第1戦で
ジーコを欠くアントラーズは
0-2で負けていた。
逆転でチャンピオンになるためには、
3-0で勝つ必要があった。

この試合に、
ジーコは痛めていた右足にテーピングをして出場。
アルシンドの先制ゴールにより
1-0としたあと、
事件は起きた。

アントラーズのファウルにより
PKの判定が下され、
カズがボールを蹴ろうとしたとき、
ジーコがつかつかとボールに歩み寄ったのである。

僕はてっきりボールの位置が
ペナルティスポットよりズレているといった類のクレームをつけるために、
ボールに歩み寄ったのだと思った。
だが、事実は違った。
あろうことかジーコは、ボールにツバを吐いたのである。

このプレーによりジーコは退場となり、
ジーコに対する非難が殺到した。

しかし、もしジーコが適当な気持ちで試合に臨んでいたとしたら、
そんな自身のキャリアに傷がつくようなことはしなくてもいいのである。
ジーコは負けるのが悔しくて、
さまざまな怒りや苛立ちを抑えきれずどうしようもなくて、
ボールにツバを吐いてしまったのだと僕は思う。

このときジーコはサッカーの神様ではなく、
まぎれもない一人の人間、一人のフットボーラーであった。

このときのジーコの心境を考えると、
僕が日々に抱く苛立ちや怒りなどはちっぽけなものに思えて仕方がない。
なので、僕はこの試合の翌日のスポーツ新聞に載った
ジーコのツバ吐きの写真を切り抜いて、
いつも手帳のなかに入れている。
で、腹が立ったときは、この写真を見るのだ。

このチャンピオンシップから3ヵ月半後の51日、
外苑前にジーコのお店がオープンした。
そのオープニングの際、
僕はジーコとはじめて会い、握手したのである。

ジーコが一歩一歩近づいてきたときの緊張感は、
いまだに憶えている。
それは全身の血が逆流するような感じで、
僕は指先にしびれを覚えた。

以来、僕はどんな人と会っても緊張しなくなった。
ジーコと比べたら、そうそう緊張する人なんかいない。
きっとポール・マッカートニーと会っても、
もう僕は緊張しない自信がある。

ジーコとは、この後も何度かお会いする機会を得た。
ジーコはいつも気さくで、
頼んでもいないのに
()よくサインをしてくれた。

ジーコはリオ・デ・ジャネイロの出身である。
以前、リオのカーニバルで
銀ラメのシャツを着ながら踊っているジーコの映像を観たことがある。
それを観ながら、
やっぱりジーコも一人の“カリオカ”なんだなと思った。

サンバはたしかに血がたぎる音楽だ。
思わず、体が動いてしまう。
僕はその興奮と臨場感をちょっとでも味わいたくて、
毎年
8月に行われる浅草のサンバカーニバルはできるだけ見に行くようにしている。
決して露出度の高い衣装が目当てではない。

カリオカといえば、
ラモスの引退試合で引退セレモニー終了後、
国立競技場を選手みんなで
1周していたときに流れていたのが
ベリーニの『サンバ・デ・ジャネイロ』である。

この曲に合わせて列の最後方で
踊りながら歩いていたのがカズだ。

こいつのご陽気さは、まさにワールドクラスだな!!
無邪気に躍るカズの姿を見ながら、あらためて思った。


2007.03