梓みちよ「二人でお酒を」


今日はお給料日である。
先月の
25日、クライアントと飲んで大枚をはたいてしまっただけに、
節約に節約を重ねた
1ヵ月であった。
この
1ヵ月は仕事が忙しく、お昼を食べられた日も少なかったことも幸いし、
なんとか乗り切ることができた。

考えてみたら、
来月のお給料日には僕はもうこの会社にはいないのである。
お給料の〆日が
15日なので、
来月分のお給料はまるまる会社から支払われるのだが、
給与明細を手渡されるのは、今日で最後である。

サラリーマンにとって、お給料というのはひとつの目安だと思う。
会社が自分に対して、
どのように評価しているのかを計る重要なものだと考えている。

でも、たとえお給料の金額が満足できるものでなくても、
経営陣がちゃんと評価してくれているという信頼感があれば、
僕は別にとりたてて金額にはこだわらない。
ずっとそんな風に考えて、いまの会社に勤務していた。

僕がいまの会社に入ったとき、
提示された年収額は前職の
60%以下の金額だった。
僕はそれを承諾した。
まだまだ発展途上の若い会社である。
がんばればお金なんか、あとからいくらでもついてくると信じていた。

しかし、その1年間で支払われた金額は
約束の金額をはるかに下回るものだった。
賞与査定が入社
1年未満だったため、
入社した年の冬は約束した金額の
10分の1程度、翌年夏は約半分だった。

僕が入社したのは
10月なのだが、
冬の賞与の査定期間は
4月〜9月、夏の賞与の査定は10月〜3月なのだ。
驚いたことに、
3ヵ月間は試用期間中ということで、
賞与の査定には含まれないらしい。
だから、夏の賞与は半額程度であったというワケだ。

そんなハナシは聞いてなかった。
僕は釈然としない気もしたが、
前述のように未来に賭けて前向きな気持ちで早朝も深夜も休日も働き続けた。
働けど働けど給与は前職にはるかに及ばなかったが、
そんなことで気持ちは全然腐らなかった。

去年の11月、年に一度の給与の見直しがあった。
その席上で専務は僕に対して信じられないことを口走った。
「私も社長もタカハシさんの給料は高いと思ってる」といったのだ。

サラリーマンにとってこの言葉は
「おまえは給料ドロボウだ」といわれるに等しいと僕は思った。

そして、この人たちは結局、
僕のことは何ひとつ認めていなかったんだと思った。

悔しいから僕はまわりの人間に
僕の年収がいくらぐらいあるのかを聞いてみた。
誰ひとりとして正解はいなかった。
みんな僕の実年収より
200万円〜400万円多い数字を挙げていた。

お金は誰だってほしい。
でも誓っていうが、僕はお金のために働いていたわけではない。
もっと大きな目標のために、夢を抱いて働いていたのだ。

僕は泣きたいほど悔しかった。
そして、もうこの人たちとは一緒にやっていけないと思った。
とはいえ、すぐに辞めるわけにもいかないので、
来年
(つまり今年)715日付で退職しようと決意した。

そして、その最終ポイントに向けてタイムスケジュールをつくった。

退職願を出したのが410日。
引継ぎのことなどを考えたら、
なるべく早く意思表示をして、
会社に迷惑をかけまいと思ってのことだった。

しかし、この2ヵ月以上の間、
会社は僕の後任について何ひとつ行動しなかった。
募集もようやく今週あたりからはじめるらしい。
わずか
2週間ぐらいで、新しい人材が見つかると思っているのだろうか?
まあ、会社にとって僕は
そんな短期間でかわりを探せるような人材でしかなかったと考えれば、
それも納得できる
()

サラリーマン生活も、いよいよ残り3週間。
闘い終わってノーサイドである。

梓みちよの『二人でお酒を』の歌詞ではないが
「うらみっこなしで別れましょうね
 さらりと水にすべて流して」
(作詞・山上路夫)ってなもんだ。


2007.06