青い三角定規「太陽がくれた季節」


一昨日、映画“大奥十八景”について書いたが、
僕らが
10代のころ一番衝撃だった映画のお色気シーンといえば、
やはり
1979年公開の“蘇る金狼”における
松田優作と風吹ジュンのからみであろう。

朝、洗面台の前でタバコを吸っている風吹ジュンの背後から、
松田優作がサンドイッチを頬ばり、
オレンジジュースを飲みつつ責め上げるシーンは、
当時の
10代には刺激が強すぎた。
まさに鼻血ブーであった。

僕は
3歳年長の同業者と、
この映画におけるこのシーンの衝撃度について数年前、
新宿の「呑者家」で牛すじ豆腐、冷凍野沢菜といった豪華メニューを前に、
生ビールのジョッキを傾けつつ、熱く熱く語り合ったことがある。

この“蘇る金狼”のシーン、
驚くべきことに僕より若い世代の人間たちにも、
鮮烈な印象を与えている。

これまた数年前、
僕より
10歳年下の後輩と長距離バスのなかで、
僕が風吹ジュンの大ファンであることを告げたとき、
彼が真っ先に話題にしたのも、
やはり“蘇る金狼”のラブシーンであった。

ここまでくると世代を超えて語り継がれる
名シーンといっても過言ではあるまい。

この“蘇る金狼”に次いで印象に残っているお色気シーンといえば、
1982年に公開された“ウィークエンド・シャッフル”における
泉谷しげると秋吉久美子のからみであろうか。
セールスマンを装ったドロボウの泉谷が
秋吉久美子の家に闖入するのだ。

かつて泉谷しげるは
池袋の文芸座でオールナイトのライブを行っていた。
当時の泉谷のライブは野次と怒号が飛び交う
危険きわまりないものであった。
本当にヤバそうな奴がゴロゴロいた。

1983年に行われたライブでは、
ライブに先立ちこの“ウィークエンド・シャッフル”が上映された。
ライブ開始前から殺気立っている観客たちは、
泉谷がスクリーンに登場するや大歓声を上げ、
泉谷が秋吉久美子に襲いかかるシーンでは
「泉谷いけ!」という声があちらこちらから湧き起こった。

何を隠そう僕は秋吉久美子も、
風吹ジュンも少年時代から大ファンだったのだが、
この
2人は友人だったらしい。

20歳ぐらいのとき、
秋吉久美子の“勝手にさせて”というエッセイ集を買ったところ、
風吹ジュンについての記述があったのだ。
それを読みながら僕は、
憧れの女性
2人の友情について思いを馳せたものだ。
この
2人が並んで街を歩くだけでまわりの空気がかわるような、
きっと素敵な
2人組だっただろう…
なんてことを勝手に想像していたものである。

秋吉久美子の“勝手にさせて”のなかには、
最初のご主人となった岩久茂氏とのなれそめについても書かれていた。

そもそもの出会いは岩久氏が
秋吉久美子のレコーディングに参加したことからはじまったそうなのだが、
レコーディング中はひと言も口をきかなかったらしい。

しかし打ち上げの夜、意気投合してそのまま
2人は結ばれた
というようなことが書いてあった。
そして、
2人は結婚。
妊娠会見での「タマゴで子どもを産みたい」という秋吉久美子の発言は、
妊娠のニュース以上にその発言のユニークさがニュースになった。

この岩久茂氏が在籍していたのが、青い三角定規というグループ。
19722月から翌年2月にかけてNTV系で放映された
“飛び出せ!青春”の主題歌『太陽がくれた季節』を唄っていた
3人組である。

『太陽がくれた季節』は
青春は太陽がくれた季節」という歌詞(作詞・山川啓介)に象徴されるように、
青春賛歌である。

風吹ジュンも秋吉久美子も、青春の季節ははるか遠くへ過ぎ去り、
いまや
50代の半ばにさしかかっている。
しかし、その魅力は薄れることはない。
むしろ年齢を重ねた分、より魅力的になったとすら思える。

僕も青春なんて季節はあっという間に過ぎ去り、
10代の少年から40代のオヤジになった。
でも風吹ジュンも秋吉久美子も、
いまなお僕のアイドルであることに変わりはない。
この
2人には、
これからもずっと素敵な大人の女性でい続けてほしいなと思う。


2007.07