エイジア「ヒート・オブ・ザ・モーメント」


去年の1123日、法政大学の学園祭にて
「歌いまくる
40歳♪」と唄うトモフスキーにインスパイアされて、
「よし
!オレも書きまくる40歳になろう」と突如として決意し、
日記を書きはじめてから今日で丸
1年になる。

果たしてどのぐらい書きまくったのだろうと思い、
さっき計算してみたら
304日分・約47万文字、
原稿用紙に換算して約
1,175枚であった。

この日記を書きまくるにあたり僕はルールを定めた。
タイトルは古今東西の音楽とする。
そして、同じ曲、アーティストは出さないというルールである。
なので、この
1年間に僕は
304()のアーティストとその曲を題材に書きまくったということになる。

この1年間に書きまくった原稿は、すべてWordデータにして保存してある。
Wordのページ数は、昨日の時点で527を数えていた。
今日に至るまで一度もどのぐらいの原稿量になったのかなどと気にしたことがなかったのだが、
こうして改めて数字を前にすると我ながらよく書きまくったものであると感慨深い。

1年間続けたのだからもういいかと一瞬思ったのだが、
せっかくだからもう少し続けてみることにした。

ちょうど1年前、
僕はエンケンこと遠藤賢司の『不滅の男』を題材に書いた。
なので、この文章のファイル名も「不滅の男」となっている。
僕が死んだ後このデータが発見され、
“不滅の男”というタイトルで出版されたら面白いなと思うけど、
そんなモノ好きな出版社はあるまい。

この“不滅の男”を書きはじめたのは、
ただ単に自分のためにナニかを書こうと思っただけだ。
誰かに向けたメッセージでもなければ、
これによってネット上で交友関係を広げたいと思ったワケでもない。
ごくごく個人的な動機で、個人的な文章を好き勝手に綴っていたに過ぎない。
そんな毎日のなかで、何人かの方との素敵な出会いがあった。
僕がここにナニかを書いていなければ
きっとお知り合いになることはなかったであろう方々である。
意図していたものではないとはいえ、
こうした出会いはとてもうれしく僕自身も日々書きまくっていく上で大きな励みになった。


あえて個人名は挙げないが、そうした方々には心から感謝している。
本当にありがとうございました。
そして、これからも叱咤激励をよろしくです。

僕が作文を好きになったのは小学校3年生のときである。
とある読書感想文のコンテストで
僕が書いた野口英世の伝記についての作文が表彰されたのである。
いまも僕は誉められたり、頼られたりすると
ホイホイと素手で木にのぼってしまうノーテンキ野郎だが、
子どもの頃はそれに輪をかけたお調子者だった。
この表彰された一件によって、
僕は作文が楽しくて楽しくて仕方がなくなった。
何かを書く、それを誉められたり、
喜んでもらえたりするのが快感になったのだ。

この原体験が、現在の僕につながっているのは間違いない。

作文は得意であったが、絵はからっきしダメだった。
小学校時代の図工の成績はいつも
23
それは中学生になっても変わらなかった。

前に勤めていた会社の社員旅行で、
宴会の余興としてお題にのっとって絵を描き、
それをチームに分かれてリレーしていくという
くだらないゲームを仕方なしに行ったことがある。
ゲームは数回行われ、
僕はなんとかそのゲームを下手なりにソツなくこなした。
僕が先頭ではなかったので、
僕の前にいる人の絵を見て、それが何であるかを理解し、
それをマネて描けばなんとかなったのである。
僕はなるべく目立たないように大人しくしていた。
チームの先頭で絵を描けといわれたら、
どエライことになるのがわかっていたからである。

しかし、そういうことに目ざといヤツはいるもので、
「今度はタカハシさんに先頭をやってもらいましょうよ」と
他のチームの営業マンが余計な提案をしてきた。
「クリエイティブ・ディレクターが先頭じゃないと、
やはりゲームもしまりませんよ」などという声を聞きながら、
僕はホントにエライことになってしもうたと、
ビールの酔いも覚める思いだった。
なんとか逃げようとしたのだが、一座の視線は僕に集中。
ことここに至ってはもはやこれまでと僕は覚悟を決め、
スケッチブックとマジックを握った。

出されたお題はピカチュウであった。
とても描けたものではない。
案の定、僕はチームメイトからブーイングの嵐を浴びた。

その絵は、伝説の1枚としていまも前の会社の倉庫に眠っている。
あんなものが世間の目にさらされてはたまったものではない。
今年の大掃除で処分されることを密かに願っている。

ロックンロール音楽の歴史のなかで
名作と呼ばれるレコードジャケットは数多くあるが、
そうした話題に必ず出てくるのがプログレッシブ・ロックの雄、
キング・クリムゾンのファーストアルバム“クリムゾン・キングの宮殿”であろう。
恐怖におびえる男の顔のイラストを、
超どアップで使ったこのジャケットはまさにインパクト抜群。
このジャケットによってキング・クリムゾンを知った少年少女も多いはずだ。

このキング・クリムゾンにも在籍していたジョン・ウェットン、
元イエスのスティーブ・ハウ、元
EL&Pのカール・パーマー、
そして
411日の日記でもとり上げたバグルズのキーボードプレーヤー、
ジェフ・ダウンズの
4人によって結成されたスーパーグループがエイジアである。

1982年にリリースされたファーストアルバムは、
グループ名を意識してか竜をモチーフに使ったアジアンテイストなイラストのもので、
個人的にも印象に残るジャケット
である。

このファーストアルバムは全米チャートで9週連続1位を獲得、
全世界で実に
1,500万枚のメガセールスを記録したという。


僕はキング・クリムゾンやイエス、
EL&Pに代表されるような
プログレッシブ・ロックはあまり好まなかったのだが、
このエイジアのファーストアルバムからのシングルカット第
1
『ヒート・オブ・ザ・モーメント』はかなり気に入ってよく聴いていたものだ。

昨日の朝刊に、ナントこのエイジアが
来年
5月にオリジナルメンバーで来日公演を行うという広告が掲載されていた。
エイジアは他のブログレッシブ・ロックバンドがそうであったように、
メンバー同士の確執による脱退が頻繁であった。
そのため僕のようなあまり熱心でないファンは、
誰がいつ辞めていつ戻ってきたのかさっぱりわからない。

エイジアのファーストアルバムの邦題は
“詠時感
(エイジア)〜時へのロマン”というものであった。
四半世紀の時を超え、オリジナルメンバーで再集結するエイジア。
そのサウンドをライブで聴く人たちは、
「時へのロマン」よろしく、
きっとそれぞれの人生の軌跡を重ね合わせるのだろう。


2007.11