アバ「ダンシング・クイーン」


僕が“Lo-D”のステレオを買ってもらったのは中1の冬である。
ステレオが納品された日、何を最初にかけたかというと、
アバの『ダンシング・クイーン』である。
この時期、アバがザ・ベストテンでこの曲を唄っているのを聴き、
いい曲だなと思って買ったのである。

2000年前後にアバのリバイバルブームがあったこともあって、
僕よりかなり若い世代にもアバのファンは多い。
僕が勤務する会社の社員の1人も
『ダンシング・クイーン』を着メロにしている。
はっきりいって、アバの『ダンシング・クイーン』の着メロというのは
センスが悪いと思うが
()

まあ、そんな余計なことはさておき。

アバの『ダンシング・クイーン』といえば、
僕は中
2のときの英語の先生を想い出す。
バンダイ先生という、
青学を卒業したばかりの男の先生であった。

バンダイ先生のはじめての授業のとき、
先生はラジカセ持参で教室に入ってきた。
そして自己紹介のあと、
おもむろにラジカセのスイッチを押した。
流れてきたのが『タンシング・クイーン』であった。

先生はこの曲を聴かせながら、
英語のヒアリングをさせようとしたのである。


ポピュラーソングで英語のヒアリングを学ぶ。
方法論としては間違っていないし、授業も楽しくなる。
僕は『ダンシング・クイーン』の歌詞を聞き取りながら、
バンダイ先生はなかなかやるじゃないか、と思った。

しかし、しばらくするとバンダイ先生の評判はガタ落ちとなった。
宿題で出された教科書
1ページ分の暗記ができなかった生徒に、
その文章を
100回書いてくるという
とてつもない宿題を出すようになったのである。

1ページ分暗記の宿題は、
授業で生徒
1人ひとりが先生の前でいわされた。
で、ちょっとでもひっかかると「ハイ、ダメ〜」と容赦なくいわれ、
書き取り
100回の刑(!?)なのである。

このおかげで他の教科の宿題が
まったくできなくなるという生徒が続出した。
ウワサでは保護者からも
クレームが来ているという話であった。
きっと職員会議でも問題になったのであろう。

バンダイ先生は夏休みが終わった後、
学校にはもういなかった。

バンダイ先生がその後、
どうなったのかは知らない。
先生を続けたのか、
それとも他の仕事に転職したのかもさっぱりわからない。

バンダイ先生だって、
きっと夢や希望にあふれて教師になったはずだ。
その最初の職場をわずか
3か月で辞めていくというのは、
どんな気持ちだったのだろう?

中学2年生だった僕は、
バンダイ先生が辞めていったことに対して
同級生たちと胸をなで下ろしたものだが、
いまになってバンダイ先生のことを思うと
ちょっと複雑な気持ちになる。

人生にはさまざまな挫折がある。
バンダイ先生はその挫折を乗り越えたのだろうか?
それとも心の傷となったままなのだろうか?

会社で社員の着メロが鳴り響くたびに、
ふとバンダイ先生のことを想い出してしまう。

2007.06